ミユキさんはまだ〇〇を知らない。

日常の思うこと、感動したこと、あれこれ。

写真の私。

写真のなかの自分が嫌いだ。
いつから嫌いになったのか。
たぶん、40代以降ではないかと思う。
ある日見た、写真に写る自分が、驚くほど不細工で老けていた。


鏡を見れば誰だって、今日の自分は調子が良さそうとか、今日はなんか疲れた顔してるなどと思うことはあるだろう。私もそうだ。
でも、写真に写った途端、どんな調子のいい時だって一律に、私の顔は絶不調の趣きだ。


時には、目元は涼やかとか、笑顔がチャーミングだとか、粒子が粗い分、細かな難は隠すという現象は、あってもいいんじゃないかな。そういうカメラマジック、たまには起きてもいいんじゃないかなと期待するが、写真の私は毎回、逆の意味で期待を裏切らない。中途半端な情けない微笑や、全開のシワや、二重アゴとか、あぁ…。
傍から見た自分は、こんなにひどいのだろうか。
もしかしたら、これがありのままの私? …そう思うたびに元気をなくす。
じゃあ、優秀な写真加工アプリを使えばいいじゃんという声もあるかもしれない。
でも、あれは、基本的に自撮りが好きな人向けの神器だと思う。私はできる限り、自分で自分の顔写真を見たくないのだから、自撮りなんてもってのほかだ。


最近は「私、写真写りが悪いんです」と言うのさえ、一種のうぬぼれのような気がしてしまう。だから、できる限り、写真は遠慮するのだが、それでも集合写真などでカメラを向けられたら、今日こそはいい笑顔で写りますように!と、もう、ただただ祈る気持ちでレンズを見つめる。
だけど、その祈りはたいてい届かなくて、つい先日も、祈りが足りなかったのだろう一枚にノックアウトされたばかりだ。
正直なところ、そのショックから抜けきれなくてこの記事を欠いている次第ですよ…。


と、散々嘆いている私の顔写真は、Facebookのアイコンにてババーンとさらけ出している。
その写真を知る人からは、いや確かに美人ではないけど、そこまで言うのはおおげさでしょ、ナルシストが過ぎやしませんか?と思われてしまうかもしれない。
それはそうだ。だってその写真は、プロカメラマンである友人が、あまりにひどい私の写真をいくつか見て同情し、取材の合い間に無料で撮影してくれて、結構な加工もしてくれた宝物のような一枚なのだ。実物以上だろうとなんだろうと、私にとってはベストショットだ。奇跡の一枚だ。本当にありがたい。
数多のひどい写真に心折れそうになっても、そのFbのアイコン写真を見るとずいぶんと慰められる。


今のところ、そのFb写真以外の自分の“いい顔”を、私は知らない。


だから、いつかできればもう一枚。
格別な美人でもなく可愛くもなくてもいいから、私らしいって素直に思える“いい顔”の写真がほしい。
なんだ、私、いい感じで歳とってんじゃんって思える、そんなポートレートを手に入れるのが夢。


最後に。
決して自分のことを美人とか可愛いとか若いとか、現実以上に自惚れているわけではないつもりだ。
もちろん、美人とか可愛いとか若いとか言われるのは好きだ。だからいつでも誰にでも遠慮なく言われたい。ていうか言ってほしい。
こんにちわの代わりに「可愛いね」とか、お疲れさま~の代わりに「今日もきれいだね」とか。写真を見ての正直な感想やへたな慰めをいただくよりも、ずっと嬉しい。だから、会ったらまず言って。
褒めて伸びるタイプなので私。

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足とか手とか後姿とか、褒めどころはどこでもいいですよ。