ミユキさんはまだ〇〇を知らない。

日常の思うこと、感動したこと、あれこれ。

自分の時間。

先日、今の仕事に関わる「時間」をお金に換えるサービスというものがあるという話を聞いた。
必要なのは仕事に関わる時間だけで、その結果の納品物は必要ないというのが当初の話だった。
もちろん、これまでの経験やスキルがあるからこそ、その時間に価値があるというのは理解できたのだけれど、今まで常に労働した時間の結果にある「納品物」に対価をいただいていると思っていた身としては、なかなかしっくりこない話だった。最終的に、どこまでいっても納品物は付属でしかなくて、そこに価値を置かない話だったので、私はいまいちノレなかった。


その仕事自体を否定したいわけではない。人によっては、そういう自分のスキルや時間の売り方は有りなのかもしれないし、ノレなかったのは、私の頭の固さなのかもしれない。
ただ、その話は、自分の「時間」の捉え方に思いを馳せるきっかけになった。


「時間」というと、思い出すのは、またもや子どもの頃のことだ。
毎日、それはそれは忙しく働く母から、ことあるごとに「時間は作るもの!」と言われ続けたせいか、昔はなかなか「時間がない。だからできない」と言えなかった。というか、そういう“言い訳”は、ひどくみっともないものだと思っていた。
今の私は、それは母親の考えで、私の考えではない、と切り離せるようになっているので、「時間がないからできませ~ん!」と平気で言える。
それでもやはり、多忙な母が自分のやりたいことだけでなく、家族のための時間もしっかり作っていた姿は鮮烈で、肯定的な印象があって、私の中にも「時間は自分でどうにかできるもの」という感覚がずっとある。


仕事も、家事も、人と会うのも、踊りに行くのも、寝るのも、ただぼんやり過ごすのも、そのための時間を自分が作りたいから作っている。1日24時間をどう分配するかは、自分次第なのだ。
もちろん、誰かのためやお金のために自分の時間を使わなくちゃいけないことは多々あるけれど、どの時間をいつ使って、どの時間を削って、どの時間を生むかの選択は、自分の自由だ。本当に嫌なことに、自分の時間は使いたくないし、たとえお金に換わるとしても気持ちのノラないことに、自分の時間を使うのは好きではない。
私の時間には、すべて価値がある。それは、人の時間も同じ。
だから、できるだけ遅刻はしないように、約束は守るようにと思っているが、まあもちろん、遅れちゃったり守れなかったりもする。そういう場合はちゃんと言う。
「時間がなかったもんで・・・ごめんね!」と。
うん、成長してるな私。

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誰かと飲むのも、ひとりで飲むのも大事な時間。〆切間近だって飲みたい夜は飲むのだ…!