ミユキさんはまだ〇〇を知らない。

日常の思うこと、感動したこと、あれこれ。

夜8時の憂鬱。

f:id:naemusa:20190711112744j:plain

子供がまだ小学生の頃、夜8時頃になると、理由もなくイライラして気持ちが落ち込む自分に気がついた。
もしかしたらずっと昔からそうだったのかもしれないが、その日はなぜかハタと思った。そういえば、どうして私は毎晩、この時間帯になると腹を立てていて、憂鬱なんだろうと。
すると、細い記憶の糸がするするする~と解けるように、思い至った。子供の頃、毎晩この時間帯になると、両親のケンカが始まっていたことに。ああ、だからか~と腑に落ちた次の日から、私の夜8時の憂鬱は消えた。


親のありようは、子供になにかしらの影響を及ぼすようだ。それは、自分が親になって、子供が高校生にまで育った今となっては、苦い思いと共に実感することが正直多い。きっと彼らにも、私の夜8時のトラウマチックなものを、与えてしまっているかもしれないと。
例えば、虐待のニュースなど見ても、ひやりとする。ここまでに至る垣根を、私がいくつ越えなかったと言えるんだろうかと。親ならば誰もが、後悔のまったくない子育てなどしてきていないのだ。


昔、心理学の講座で、自分の中の怒りを表面化して許すみたいなワークがあった。そこで私が一番の怒りの対象にしたのは自分の父親だったけど、最後まで許して終わることはできなかった。その頃、父親はすでに他界していたので、本人に怒りをぶつけて解消することもできず、父親のことは、その後、何度かいろいろな形で扱って、自分のなかで許せないまでも納得しようと試みるのだけど、いつもあまりうまくいかなかった。
別に、今思えば、私への暴力があったわけでもないし、いい時にはたくさん遊んでくれもした。そんなにひどい父親ではなかったのかもしれない。だけど、その頃の私は、自分の不運はみんな、父親の存在が根っこにあるせいだと思い込みたかったのだ。


夜8時の憂鬱が消えた日は不思議な気持ちだった。その時の気持ちを言葉にすると、なんとなく、こういうことだったのではないかと思う。
たいていの嫌なモノゴトは、気づけば終わる。終わって次へ進む。
それはもう大人ならみんな、とっくに知っていることなのかもしれないが、私はようやく言葉にできた。そして、何回も何回も繰り返し、同じようなことを反芻しては気づいて、少しずつ解消していくことも多くて、またかよ! とも思うけれど、たぶん味わいたいのだから仕方ない(笑)。
父親との思い出には、ずいぶんと笑顔のシーンが増えてきた。
最近は、もう少し長生きして、孫に入学祝でもやってくれれば良かったのにと思うくらいには、私も進んでいる。