ミユキさんはまだ〇〇を知らない。

日常の思うこと、感動したこと、あれこれ。

世界が自分の創造で成り立っているとしたら。

目の前に広がる世界が、もし、自分だけが見えている世界だったらどうだろう。
多くの人と共有していると信じているこの現実は、実は自分の視覚のなかだけで展開しているのだとしたら、どうだろう。


自分の体の背面部に広がる、要は視覚に入らない世界に実態はなく、そこは真っ白or真っ黒で何もない、ただの空間なのかもしれないって考えてみた。
今目の前に見えているパソコンや机や壁や、リビングでゲームをする息子や、部屋で寝ている娘は、視線を外した途端に存在しなくなるもので、私がそこに在ると信じているだけだとしたら・・・。
後ろからポンッと肩をたたく存在が、振り向くまでは形を成さないのだけど、視覚に入った途端、よく知るあの人になるのだとしたら・・・。
どこからか聞えてくる音は、実は自分の脳内で響いているだけで、その発生源を認識しようとした途端、自分が想像しうる形になって目の前に現れるのだとしたら・・・。


ちょっとオカルトチックな妄想だけど、目の前の世界が、自分の創造だけで成り立っているのだと考えると、なんだかゾクゾクすると同時にワクワクもする。
目の前にある人やモノや現象は、見たい、会いたい、ほしい、体験したいと思うからあるのであって、変化も不変も自分次第なのかもしれない。怒りや悲しみや喜びや好きという感情の生まれる原因さえも、自分がそういう気持ちになりたいという思いが先にあって、起きているのかもしれない。

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今夜は新月。新しいことや考えをスタートするにはふさわしい日だとか。

幼い頃、目の前に見える世界は全部、自分の味方だと信じていた時期が確かにあった。だからきっと生きてきた。
大人になった今、いろいろな出来事に遭遇して、いろいろな感情を体験して、自分の世界に愛と平和なんてないって思ってきた時期もあるけど。もう一度、目の前の世界を、自分にとって居心地のいいものとして捉え直したいと思っている。
世界中のラブ&ピースを想像することは、私には難しい。でも、目の前にある小さな世界平和を創造することからなら、やればできる気がする。